新潟地方裁判所 平成10年(行ウ)7号 判決 1999年7月29日
原告
桒山美惠子
被告
柏崎税務署長 堀尾冨士夫
右指定代理人
加藤裕
同
井上良太
同
阿部昭雄
同
小島一俊
同
筒井清治
同
浦野勉
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告が平成七年六月一五日付けで原告の平成三年一二月二二日相続開始に係る相続税についてした更正のうち、納付すべき税額三六万一三〇〇円を超える部分及び過少申告加算税賦課決定処分(ただし、いずれも再更正により一部取り消された後のもの)を取り消す。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
第二事案の概要
本件は、原告が、別紙物件目録一1ないし3記載の土地建物(以下「本件土地建物」という)及び同目録二記載の株式(以下「本件株式」という)は、原告固有の財産(本件土地建物については原告の養母からの相続財産)であると主張して、これらの財産が亡大矢良雄(以下「良雄」という)からの遺贈によって取得した財産であることを前提としてされた相続税の更正及び過少申告加算税賦課決定は違法であるとして、その取消しを求めた事案である。
一 争いのない事実及び括弧内記載の証拠によって容易に認定できる事実
1 当事者
原告は、昭和七年七月二日、父入澤辰美、母ツタの五女として生まれ、昭和四四年八月二日、桒山ヒサ(以下「ヒサ」という)との間で養子縁組届出をし、同女の養女となった(乙九四)。
ヒサは、良雄の異父姉であり、昭和五八年七月一六日、死亡した(乙九〇、九四)。
2 本件遺贈の意思表示
良雄は、昭和五七年六月二一日、自筆証書によって遺言をしたが、そのなかで、原告に対し、本件土地建物、家財一切、本件株式及び現金二〇〇万円を遺贈する旨の意思表示をした(乙三)。
良雄は、平成三年一二月二二日、死亡した。
本件土地建物については、平成四年三月二日受付で、遺贈を原因として、良雄から原告へ所有権移転登記がされ(乙五ないし七)、本件株式については、同月三〇日、良雄から原告へ名義変更がなされた(乙一三の1、2)。
3 相続税の申告
原告は、平成四年六月二二日、税理士清水禮史郎を通じて、被告に対し、原告の課税価格を三三〇万八〇〇〇円、納付すべき税額を三六万一三〇〇円とする相続税申告書を提出し、同月二三日、同額を納付した(甲一、二)。
4 本件更正処分等
被告は、本件土地建物、本件株式及び現金二〇〇万円は原告が良雄からの遺贈により取得した財産にあたるとして、別表一1ないし3のとおり課税価格等の計算を行った上、平成七年六月一五日、原告の課税価格を六五一六万四〇〇〇円、納付すべき税額を一二九七万六八〇〇円とする更正処分及び加算税額を一八六万六五〇〇円とする過少申告加算税賦課決定処分(以下「本件更正処分等」という)を行った。
5 異議申立
原告は、平成七年八月八日、被告に対し、本件更正処分等を不服として異議申立をしたが、異議審理庁は、同年一〇月三〇日付けでいずれも棄却の異議決定をした(甲三)。さらに、原告は、同年一一月一五日、異議決定後の本件更正処分等に不服があるとして、審査請求をしたが、国税不服審判所長は、平成一〇年一月二六日、これを棄却する旨の裁決をし、右裁決書は同年二月二七日ころ、原告に送達された(甲三、四)。
6 遺留分減殺による減額再更正処分
原告は、良雄からの遺贈に関し、良雄の相続人である大矢マス及び浦田由美子から遺留分減殺による所有権移転登記請求訴訟(当庁平成四年(ワ)第五九九号、平成五年(ワ)第四一五号。甲五)を提起されていたところ、平成一〇年九月二四日、最高裁判所において、上告棄却及び上告審として受理しない旨の決定がされ、原告に対し本件土地建物の持分の移転登記手続及び本件株式等の一部を返還するよう命じた控訴審判決(甲六)が確定したことから、平成一一年一月二八日、被告に対し、課税価格を〇円、納付すべき税額を〇円、過少申告加算税を〇円とする更正の請求を行った(甲一〇の2ないし4)ところ、被告は、別表二1ないし3のとおり課税価格等の計算を行った上、同年二月一〇日、原告の課税価格を四二〇〇万五〇〇〇円、納付すべき税額を八三六万六六〇〇円、過少申告加算税を一一七万五〇〇〇円とする減額再更正処分を行った(乙一四)。
二 争点及び当事者の主張
本件土地建物及び本件株式は、原告固有の財産(本件土地建物については原告の被相続人であるヒサの固有財産)か、それとも原告が良雄からの遺贈により取得した財産か。
1 原告の主張
本件土地建物及び本件株式は、良雄の遺産ではなく、原告固有の財産である。
(一) 本件土地建物は、もともとヒサが所有していた新潟市万代三丁目二四五三番地所在の建物及びその敷地の借地権(以下「万代の建物」という)の売却代金によってヒサが購入し、登記のみ良雄名義としていたものである。したがって、本件土地建物の真の所有者はヒサであったところ、原告は、昭和五八年七月一六日、ヒサの死亡により、本件土地建物の所有権を相続を原因として取得した。
(二) 本件株式は、原告が主宰していた音楽教室の収支及び現金等を管理していた良雄が、同教室の運営資金から購入したものであって、実質的には原告の所有に属するものである。
2 被告の主張
本件土地建物及び本件株式は、良雄の所有であったものを、本件遺言に基づき、原告が良雄からの遺贈により取得した財産である。
(一) 本件土地建物は、登記名義のとおり良雄所有であったものであり、その固定資産税は良雄名義で課され、建物の火災保険料及び修理代金は良雄が支払ってきた。そして、原告は、良雄からの遺贈により本件土地建物を取得し、登記名義の移転を受けたものである。
(二) 本件株式は、良雄が昭和四五年八月に二〇〇株を、昭和五一年一一月に二〇〇〇株をそれぞれ同人名義で取得したものであり、本件株式に係る配当金も良雄が受領していた。そして、原告は、良雄からの遺贈により本件株式を取得し、名義変更を受けたものである。
第三当裁判所の判断
一 本件土地建物について
1 前記第二・1の事実及び証拠(甲七、乙二、五ないし一一、九〇ないし九七、九九ないし一〇四、一〇七、一〇八、一五一、一六五ないし一七〇、弁論の全趣旨)によれば、以下の事実が認められる。
(一) 良雄は、大正四年三月二五日、父大矢熊治、母タミの二男として、現在の新潟県柏崎市で生まれ、同市内において、家業であった青果卸小売業「美勢屋」を営んでいたものである。良雄は、昭和一一年一〇月九日にマスと婚姻し、同女との間に三人の子供をもうけている。
ヒサは、明治三三年二月一一日、母タミの子として生まれたものであり、良雄の異父姉である。ヒサは、昭和一四年から昭和二一年まで満州にいたが、帰国後は、柏崎市内の実家に戻り、一時、良雄らと同居していた。
(二) 良雄は、柏崎市内の青果業のほかに、昭和二二年ころ、新潟市内において、有限会社大興商事(後に大興新潟県青果株式会社に組織変更)を設立し、同市内での良雄及び従業員らの宿泊場所として利用できるよう、万代の建物を購入した。そして、良雄は、満州から帰国していたヒサに右建物に居住してもらうこととし、同女が、従業員らの賄い等を行ってきた。地主との間の借地契約は、ヒサを賃借人、良雄を連帯保証人として締結された。また、万代の建物は、昭和二八年七月一三日、ヒサ名義で所有権保存登記がされたが、良雄を債務者として、昭和四〇年三月三〇日、第四銀行のために極度額四〇〇万円の根抵当権が設定されている。
その後、右建物につき、地主から立退要求をされると、ヒサが交渉にあたったのは当初の三、四回だけで、その後は、良雄が主に地主及び土地買受人らとの交渉にあたり、その結果、良雄は、地主から立退料一五〇万円を受け取って、万代の建物を土地買受人に売却することとし、昭和四六年九月一四日、ミナミ工業株式会社との間で、売主をヒサ、連帯保証人を良雄として、万代の建物及び借地権を代金三二五〇万円で売り渡す旨の契約を締結した。
(三) そして、良雄は、右売却代金を元手として、昭和四六年九月二一日、長谷川種雄から、本件土地建物を代金九〇〇万円で購入し、いずれも良雄への所有権移転登記を行った。なお、ヒサは、右契約交渉及び登記には関与しておらず、万代の建物の代金のうち、ヒサが良雄から受け取ったのも、一〇〇万円ないし一五〇万円程度であり、その余は本件土地建物の代金に充てられたほかは良雄によって費消された。
良雄は、万代の建物と同様、本件建物にヒサを住まわせ、従業員らの賄いを任せてきた。原告は、昭和四四年ヒサの養女となり、昭和四六年一月から昭和四七年夏まで当時の西ドイツに留学した後、帰国し、ヒサとともに本件建物に同居するようになった。現在は、原告が一人で本件建物に居住している。
本件土地建物の登記名義は、平成四年三月二日に遺贈を原因として、良雄から原告に対し所有権移転登記がされるまで、良雄のままであり、この間、本件土地建物の固定資産税及び本件建物の火災共済の掛金は、すべて良雄が負担してきた。また、良雄は本件建物の修理なども行ってきた。
2 右1の事実によれば、万代の建物は良雄の所得により購入されたものであり、本件土地建物もまた、良雄が、万代の建物の売却代金を元手として、自己の所有物として購入したものである。
この点、原告は、陳述書(甲七、八、九の1、一一の1、2、一二の1)において、原告は、昭和三四年ころ、ヒサから、万代の建物はヒサの所持金で購入したものであると聞かされていた、良雄はヒサに無断で本件土地建物の名義を借用したものであり、ヒサはこれを激怒し悲嘆する日々が続いていた、そして、良雄は、心底では深い姉弟愛を持っていたため、ヒサの死期を知り、同女へ本件土地建物の名義を返すために、これを原告に託す遺言書を作成した、といった供述をしているが、右供述は、伝聞、推測に基づく部分が多く、終戦後満州から引き上げて間もないヒサが、新潟市内に不動産を取得するための資金を有していたことを的確に裏付ける証拠がないことからすると、信用することができず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。
二 本件株式について
1 証拠(乙一二、一三の1、2、弁論の全趣旨)によれば、良雄は、昭和四五年八月二〇日、本件株式のうち二〇〇株を、昭和五一年一一月二〇日、本件株式の残り二〇〇〇株をそれぞれ前株主から取得し、良雄の名義に変更したこと、及び配当金はいずれも良雄名義の第四銀行の普通預金口座に振り込まれていたことを認めることができる。
2 右1の事実によれば、本件株式は、良雄が、自己のために購入したものであったと認めることができる。
この点、原告は、陳述書(甲八、九の1、一一の1、2、一二の1)において、良雄は、原告が主宰する音楽教室(新声会音楽研究所)の運営資金を預かっていたところ、右資金を元手として、本件株式を購入したものであり、昭和四八年春、原告に対し、本件株式を買ったとの報告を行い、原告はこれを了承したものであると供述しているが、良雄が右新声会音楽研究所の資金を使って、自己のためではなしに、同会ないし原告のために本件株式を購入した事実を裏付ける的確な証拠はないから、右供述は採用できず、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。
三 右一、二認定事実並びに前記争いのない事実及び証拠によって容易に認定できる事実によれば、本件土地建物及び本件株式は、いずれも良雄の所有であったところ、原告は良雄からの遺贈によってこれらを取得したものと認められ、また、これらが遺贈である場合の税額が被告主張の金額であることは争いがないから、原告の請求はいずれも理由がない。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 松田清 裁判官 大野和明 裁判官 島村路代)
物件目録
一 不動産
1 新潟市鐙西二丁目三一五番
宅地 一六五・〇〇平方メートル
2 同所三一六番
宅地 二四一・〇〇平方メートル
3 同所三一五番地、三一六番地
家屋番号 三一五番
居宅 木造セメント瓦葺二階建
床面積 一階 一四五・七九平方メートル
二階 五二・四一平方メートル
(附属建物)
物置 木造亜鉛メッキ鋼板葺平屋建
床面積 一二・一五平方メートル
二 有価証券(株式)
株式会社新潟総合テレビ 二二〇〇株 評価額 一七六〇万円